一 郵便配達員・佐久間の記憶(あるいはその欠落について)
私が配達員になって十七年になる。
毎年、決まった時期に妙なことが起こる。手帳に書いた覚えのない予定が記されている。「七番目の配達」とだけ、私の字で。
その日が来ると、町は少し違って見える。空の色が、青でも灰でもない、名前のない色になる。木々は葉を落とすでも芽吹くでもなく、ただ静かに「待っている」ような姿勢をとる。
私は自転車を漕ぎ、配達をする。けれど後で配達記録を見ると、その日の分だけが空白になっている。受け取った人の顔も、渡した手紙の宛名も、思い出せない。
ただ一つ覚えているのは——いや、覚えているという表現は正しくない。忘れたことだけを覚えている、とでも言うべきか。胸の奥に、小さな空洞がある。何かがそこにあった、という形だけが残っている。
妻に話すと、妻は笑って言った。「あなた、毎年同じこと言うのよ。そして次の日には忘れてる」
その「次の日」が、いつ来たのかも私は知らない。
二 少女・ひかりの一日(覚えている者の側から)
わたしは覚えていられる。たぶん、世界でわたしだけ。
第七季——わたしがそう呼んでいる季節。みんなは知らない。お母さんもお父さんも、学校の先生も、季節が六つしかないと思っている。春、梅雨、夏、秋、冬、そして……みんなが「冬」と「春」のあいだだと思い込んでいる、あの透明な一日。
その日、世界はゆっくりになる。
時計の針が蜜のなかを進むみたいに重くなって、人の声が水のなかで聞くみたいにくぐもる。みんなは普通に暮らしているつもりでいるけど、本当はみんな、夢のなかを歩くみたいにふらふらしている。
わたしだけが、はっきりと目を覚ましている。
なぜわたしだけなのか、ずっとわからなかった。でもこの前、おばあちゃんの遺品から古い日記を見つけて、わかった気がした。おばあちゃんも、覚えていられる人だった。
日記の最後のページにこう書いてあった。
「覚えていられる者は、いつか覚えていられなくなる。そのとき、別の誰かが覚えはじめる。これは継承される孤独だ。あなたがこれを読んでいるなら、もう始まっている」
わたしは、その日記を読んだ日のことを、第七季のなかで読んだ。
つまり——おばあちゃんは、もう「覚えていられなくなった」ということ。
そして今、覚えているのはわたし。
三 郵便配達員・佐久間(再び、しかし彼は知らない)
その日、私はある家のポストに手紙を入れようとして、玄関先に立っていた少女と目が合った。
小学生くらいだろうか。彼女はじっと私を見ていた。普通の子どもの目ではなかった。何かを——たぶん私を——記憶しようとする目だった。
「おじさん」と彼女は言った。「今日のこと、明日には忘れちゃうんでしょう」
私は笑った。何のことかわからなかったが、なぜか胸が痛んだ。
「そうかもしれないね」と私は答えた。「でも、忘れることは、悪いことばかりじゃない」
彼女は少し驚いた顔をした。それから、泣きそうな、笑いそうな、不思議な表情になった。
「忘れられるって、うらやましい」
私はそのとき、自分のなかの空洞が、ほんの少しだけ温かくなるのを感じた。誰かがその空洞に、何かを置いていったような気がした。
手紙を渡したかどうかは、覚えていない。
四 季節そのものの独白(語り手なき語り)
わたしには名前がない。
人間たちはわたしを数えなかった。春を一、夏を二と数えながら、わたしのところで数えるのをやめる。わたしは数の隙間に住んでいる。六と七のあいだ、いや、七そのものでありながら、誰の指折りにも触れられない。
わたしは一年に一度だけ訪れる。一日だけ。けれどその一日は、ほかのどの季節よりも古い。世界が時間というものを発明する前から、わたしはここにいた。
人間が眠るとき、夢を忘れるだろう。あれはわたしの仕業だ。覚えていられないほど美しいものは、覚えてはいけないものだから。わたしを記憶に留めれば、人はその重さに耐えられない。だから世界はやさしく、人々からわたしを取り上げる。
けれど、ときどき。
ごくまれに。
わたしを覚えていられる者が生まれる。
その者は祝福されているのか、呪われているのか、わたしにもわからない。ただ言えるのは——その者がいるかぎり、わたしは完全には消えない、ということだ。
少女よ。
あなたが覚えているかぎり、わたしは存在する。
あなたが忘れたとき、わたしは次の誰かを探す。
これは取引ではない。これは、世界がさみしくないための、ささやかな仕組みなのだ。
五 ひかり、おばあちゃんに会う(第七季のなかで)
第七季のいちばん不思議なところは、もう会えない人に会えること。
その日の夕方、川べりを歩いていたら、ベンチにおばあちゃんが座っていた。亡くなったはずのおばあちゃんが。
「ひかり」とおばあちゃんは言った。声まで、昔のままだった。
「おばあちゃん、わたし、覚えてるよ。第七季のこと。日記も読んだ」
おばあちゃんはうなずいた。「つらいだろう。覚えているというのは」
「うん。だって、みんな忘れちゃうのに、わたしだけ覚えてるんだもん。みんなとずれていく感じがする」
おばあちゃんはわたしの頭をなでた。手のひらの感触は、なかったけれど、あった。
「でもね、ひかり。覚えているからこそ、こうしてわたしと会える。忘れる人たちは、この一日を生きていないのと同じ。あなたは、一年に一日、余分に生きているの。それは贈り物よ」
「贈り物?」
「世界はね、覚えていられない美しさで満ちている。夕焼けも、雪の最初のひとひらも、人の最後の言葉も。みんな、すぐに忘れる。でもあなたは、忘れないでいられる。あなたが覚えているかぎり、それは消えないの」
わたしは泣いた。第七季のなかでは、涙もゆっくり落ちる。一粒が、宝石みたいに、いつまでも頬を伝っていく。
「おばあちゃんも、誰かに会えた? この季節のなかで」
おばあちゃんは少しだけ微笑んだ。
「ええ。わたしも、わたしのおばあちゃんに会ったわ。同じこの川べりで。きっと、あなたもいつか、誰かをここで待つことになる」
六 佐久間の妻・節子(外側から見た者)
夫は変わった人です。
毎年、ある時期になると、ぼんやりと窓の外を見て、「今日は何か特別な日だった気がする」と言うのです。でも何が特別なのか、本人もわからない。
私はずっと、それを夫の癖だと思っていました。
でも去年、私自身にも妙なことが起きました。台所で洗い物をしていたら、急に手が止まって、涙が出てきたのです。理由もなく。何かとても大切なものを失ったような、でもそれが何だったのか思い出せないような。
そのとき、近所の女の子が——配達のときに夫が話したという、あの子でしょうか——うちの前を通りかかって、こちらを見ていました。
その子は、私に向かって、小さくお辞儀をしました。
まるで、「ごめんなさい」とでも言うように。
まるで、私の忘れたものを、その子が代わりに覚えていてくれているように。
私はその子に手を振りました。なぜだか、ありがとう、と言いたい気持ちでした。
次の日には、もちろん、その出来事も忘れていました。
こうして書いているこの記憶も、明日にはきっと消えるのでしょう。
それでもいい、と今は思えるのです。誰かが覚えていてくれるなら。
七 ひかり、十年後(継承の予感)
わたしは二十歳になった。
毎年、第七季は変わらず訪れる。わたしは変わらず覚えている。でも最近、少しだけ、記憶があいまいになってきた。第七季の翌日、ほんの一瞬だけ、「あれ、何かあったっけ」と思う瞬間がある。
おばあちゃんの日記の言葉を思い出す。
「覚えていられる者は、いつか覚えていられなくなる」
そのときが、近づいているのかもしれない。
先週、近所に小さな男の子が引っ越してきた。三歳くらい。その子が、第七季の日に、わたしをじっと見つめていた。何かを記憶しようとする目で。
ああ、と思った。
この子だ。
次に覚える子は。
わたしは少しさみしくて、少しほっとした。わたしの孤独は、終わる。でもそれは、この子の孤独が始まるということでもある。
わたしはその子のそばに行って、しゃがんで、目を合わせて言った。
「忘れることは、悪いことばかりじゃないんだよ。でも、覚えていることも、悪いことばかりじゃない」
昔、郵便配達のおじさんが言ってくれた言葉と、わたしの言葉を、混ぜて。
その子はきょとんとしていた。まだわからなくていい。いつかわかる日が来る。
八 季節そのもの(終わりに、あるいは始まりに)
少女は大人になり、やがて覚えていられなくなるだろう。
男の子が、新しく覚えはじめるだろう。
これが何百年、何千年とくり返されてきた。
わたしは数えられない季節として、永遠に七番目であり続ける。
人間たちよ。
あなたがたがわたしを忘れるのは、わたしがやさしいからだ。
覚えていられる者がいるのは、世界がさみしがり屋だからだ。
今年もまた、第七季が来る。
あなたは気づかないだろう。
気づかないまま、いちばん美しい一日を生きるだろう。
そして次の日、何も覚えていない朝、
胸の奥に小さな空洞を抱えながら、
あなたはこう思うかもしれない。
「今日は何か、特別な日だった気がする」と。
その感覚こそが、わたしからの、たった一つの贈り物だ。
——了