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舌の上に、まだあの音が残っている、らしい、と私は思う、いや思おうとしている、というのも実際には何も残ってなどいないからで、ただ残っていると思い込みたいだけなのかもしれない、祖母がよく口にしていたあの喉の奥から絞り出すような子音、k でもなく q でもない、ラテン文字では決して書き留められないあの破裂音、それを私はもう正確には発音できない、できないということに気づいたのは昨日の朝だった、歯を磨きながら鏡の中の自分に向かって試しに言ってみたあの単語、「太陽」を意味するあの言葉、子供の頃には何も考えずに口から飛び出していたのに、今は喉が、いや舌の根が、その形を忘れてしまっている。

忘れる、という言葉さえこの言語ではもっと豊かだったはずだ、忘れるにも種類があって、意図して捨てる忘却と、霧のように勝手に消えていく忘却と、それから死者とともに地下へ持っていかれる忘却と、三つの異なる動詞があった、あったはずだ、いや本当にあっただろうか、それとも私が今こうして思い出という名のもとに勝手に作り上げているだけなのか、記憶というのはそういうものだ、空いた場所を勝手に埋めていく、漆喰のように、そして埋めたものが本物だったのか偽物だったのかもう判別できなくなる。

録音機を持ってきた若い研究者がいた、いつだったか、三年前か四年前か、首都の大学から来たという彼女は私のことを「最後の話者」と呼んだ、ラスト・スピーカー、英語でそう言った、その響きが妙に滑らかで、まるで何かの賞のタイトルのようで、私は笑ってしまった、最後の、という形容詞がこれほど寂しく、これほど誇らしく、これほど残酷に聞こえることがあるだろうか、私はその瞬間に氷の上に立たされた人間になった、足元から音もなくひびが広がっていく、私が話せば話すほど、私が語れば語るほど、その言語は記録され、保存され、そして同時に死に近づいていく、なぜなら録音されたものは標本だからだ、ピンで留められた蝶、もう飛ばない、もう変わらない、生きた言語は変わり続けるものなのに、明日には誰も使わなくなるのに。

彼女はマイクを私の口元に近づけて、おばあさんが歌っていた子守唄を歌ってくださいと言った、私はそれを歌った、半分しか覚えていなかった、後半の歌詞は霧の中にあって、それで私は嘘をついた、即興で、それらしい音を並べて、母音をそれらしく転がして、彼女はそれを満足そうに録音した、これが今後の研究の貴重な資料になりますと言った、私は何も言わなかった、罪悪感が舌の上に苦く広がった、あの後半部分は永遠に偽物として保存される、私の作り話が学術論文の中で「伝統的子守唄の一例」として引用される日が来るのかもしれない、そう思うと、消えていくものを救おうとする行為そのものが、別の形でそれを殺しているような気がしてならない。

言葉というものは、私の言葉というものは、人と人の間にしか存在できなかった、それは私と祖母の間に、私と村の老人たちの間に、川辺で洗濯をする女たちの間に、漁から戻った男たちの怒鳴り声の間に、生きていた、それは空気を震わせる出来事であって、文字ではなかった、私たちの言葉には文字がなかった、だから辞書もなかった、だから「正しい」発音などというものもなかった、ただ通じればよかった、通じることが、わかり合うことが、すべてだった、それなのに今、研究者たちは私の言葉に文字を与えようとする、国際音声記号で、私の喉の震えを几帳面な記号に翻訳する、それは親切なのだろう、たぶん、けれど私は思う、文字を持たないことこそがこの言葉の本質だったのではないか、口から口へ、息から息へ、それでしか伝わらないものがあったのではないか。

孫が訪ねてきた、先週、いや先々週か、時間の感覚がもう曖昧で、彼は都会の言葉しか話さない、私の言葉は一言も話さない、当然だ、彼の母親、つまり私の娘も、もうほとんど話さない、話せても話さない、恥ずかしいのだ、田舎の、消えゆく、価値のない言葉だと、誰かが彼女にそう思わせた、学校が、テレビが、世界全体が、お前たちの言葉は遅れていると、お前たちの言葉では未来を語れないと、そう囁き続けた、だから娘は子供に標準語だけを与えた、それが愛だと信じて、確かにそれは愛だったのだろう、子供がこの世界で生き延びるための、けれどその愛の代償として、私と孫の間には、ことばの川が流れていない、ただ沈黙の砂漠がある、私は彼の頭を撫でる、彼は私に微笑む、それだけ、それだけしかできない、私の中にあるすべての物語、祖母から受け継いだすべての歌、雨の名前、風の名前、星座にまつわる物語、それらは私の胸の中で凍りついて、もう誰の耳にも届かない。

孫の名前を、私の言葉で、心の中でそっと呼んでみる、彼の名前を私たちの音で発音したらどう響くだろう、と想像する、けれどそれももう正確にはできない、ああ、そうだ、私たちには名づけの儀式があった、子供が生まれて七日目の夜明けに、祖母が、村でいちばん年長の女が、その子を抱いて川の方を向き、その子だけの音、世界に二つとない音の組み合わせを授ける、それは一生その人だけのもので、他の誰も同じ名を持てない、なぜなら名前は人そのものだったから、名前を呼ぶことはその人の魂に触れることだったから、だから私たちは軽々しく名を呼ばなかった、本当に大切なときにだけ、本当に愛しているときにだけ、その音を口にした、私の名前を最後に私たちの言葉で呼んでくれたのは祖母だった、彼女が死ぬ前の夜、私の手を握って、私の名を、私だけの音を、囁いた、あの瞬間、私は完全に存在した、世界の中で一つの確かな点として、誰とも交換できない私として、けれど今、私が死んだら、私のあの名前を発音できる人間は地上に一人もいなくなる、私の名は私とともに消える、いや、私の名だけではない、すべての名が、すべての音が、すべての雨の呼び方が。

雨、と言えば、私たちには雨の名前が四十以上あったと思う、いや四十だったか五十だったか、霧雨と、斜めに降る雨と、太陽が出ているのに降る雨と、稲妻を連れてくる雨と、海から来る塩辛い雨と、それぞれに固有の名があって、それぞれの雨が違う感情を、違う記憶を、違う神話を背負っていた、太陽が出ているのに降る雨のことを、私たちは「死者が笑っている」という意味の一語で呼んだ、一語で、たった一語で、その複雑な空模様と、それにまつわる古い言い伝えと、ほのかな笑いと哀しみとを、すべて表現できた、それを標準語に訳すと「天気雨」になる、天気雨、なんて味気ない、なんて平たい、世界が、私の世界が、訳されるたびに薄まっていく、薄まって、薄まって、最後には透明な水になって、蒸発する。

研究者の彼女は、いつか辞書ができますよと言った、あなたの言葉の辞書が、図書館に並びますよと、それは記念碑のようなものですと、私は頷いた、頷きながら、墓石のことを考えていた、辞書とは墓石ではないか、ここに一つの言語が眠る、何年から何年まで生きた、最後の話者の名は、と、そこに刻まれる私の名前、ただし標準語の表記で、私だけの、世界に二つとない音は、決して刻まれない、刻めない、あの音を表す文字はこの世に存在しないから。

それでも、と私は思う、いま、この夜明け前の暗がりの中で、窓の外がほのかに白み始めるのを見ながら、それでも私は話したい、誰もいなくても、聞く者が誰一人いなくても、私は声に出して話したい、私の言葉で、なぜなら言葉は、生きているうちは、墓石ではないから、いま私の喉を震わせているこの音は、まだ生きているから、まだ空気を震わせているから、たとえそれを受け取る耳がもうこの世になくても、震えそのものは本物だから、私は起き上がる、足が痛い、もう若くない、窓を開ける、冷たい朝の空気、川の匂い、そして私は、私だけが知っている言葉で、太陽に呼びかける、あの破裂音から始まる単語を、舌の根が忘れかけていたあの音を、もう一度、力を込めて、口から外へ、世界へ、放つ、ちゃんと言えた、今朝はちゃんと言えた、声が震えて、白い息になって、朝の光の中へ溶けていく、誰も聞いていない、けれど川が聞いている、風が聞いている、まだ昇りきらない太陽が聞いている、そして、と私は思う、そしてもしかしたら、ほんの一瞬、空気の中に、この音が降り積もった土の中に、染み込んだ歌の中に、何かが残るのかもしれない、種のように、いつか、誰かが、何百年後かに、土を掘り返して、この音の化石を見つけて、そして不思議に思うのかもしれない、これは何という名の太陽だったのだろうと、そのとき私は、もうこの世にいない私は、土の下から、最後の息で、その人に向かって、囁くだろう、これが太陽だ、これが私たちの太陽の呼び方だ、聞こえるか、聞こえているか、ああ、もう、声が、出ない、けれど、それでも、それでも私は、最後まで、この口で、この舌で、この、

太陽。

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