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――聖アウレリア慈善病院・終末期病棟の記録より

 わたくし、マグダレーナ・フォン・エッシェンバッハは、来る冬至の夜、静かに息を引き取ることをここに記します¹。

 医師たちはわたくしの命があと半年は続くと申しますが、わたくしにはわかるのです。神がわたくしをお召しになる正確な日時が²。だからこそ、わたくしは「逆さ遺言」――これから訪れる自らの死の様式を、自らの手で定める文書――を残すことにいたしました。

 わたくしは長く、この街の貧しき者たちのために尽くしてまいりました³。孤児院を三つ建て、病める者に薬を配り、飢えた者にパンを与えました。財産のすべてを慈善に投じ、わたくしの手元にはもはや、この古い屋敷と、亡き夫が遺した小さな指輪が残るのみです⁴。

 わたくしの死は、こうあるべきです。

 冬至の夜、わたくしは白い寝衣をまとい、寝台に横たわります。枕元には白百合を一輪。介添えをするのは、長年わたくしに仕えてくれた忠実な侍女、クララだけ⁵。彼女がわたくしの手を握る中、わたくしは安らかに、何の苦しみもなく眠るように逝くのです。

 遺体は荼毘に付さず、街の見える丘の墓地に埋葬してください。墓標には「貧者の母、ここに眠る」とだけ。

 そして――これが最も大切なことですが――わたくしの死後、屋敷とわずかな財は、すべてクララに譲ります⁶。彼女こそ、わたくしの真の家族なのですから。

 甥のハインリヒには、何も遺しません。あの子はわたくしの慈善を「老婆の道楽」と嘲り、わたくしを精神を病んだ者として療養院へ送ろうと画策した、恩知らずだからです⁷。

 神よ、わたくしの魂を清らかなままお受け取りください。わたくしは一点の曇りもなく、この世を去ります⁸。

          マグダレーナ・フォン・エッシェンバッハ


 冬至の夜、遺言の通りにすべては運びました。白百合が枕元で香り、クララがわたくしの手を握っております。窓の外には初雪。わたくしは満ち足りた気持ちで、まぶたを閉じます⁹。

 ああ、温かい。死とは、こんなにも穏やかなものなのですね¹⁰。


脚注

¹ 本文書の日付は十一月三日。マグダレーナ夫人が「冬至の夜に死ぬ」と断言した根拠は、本人の供述以外に存在しない。後の調査で、夫人は数週間前から不眠と幻覚を訴えていたことが侍女クララ自身の証言により判明している。なお診断書は当時、街の医師ローレンツが作成したが、彼はクララの遠縁であった。

² 「神の啓示」とされる予知は、夫人が常用していた鎮静用の煎じ薬に起因する譫妄であった可能性が高い。この薬を調合していたのもクララである。

³ 慈善活動の記録は確かに存在する。ただし孤児院三つのうち二つは開院から一年以内に閉鎖され、その運営資金の行方は会計簿から消えている。資金管理を一手に担っていたのはクララであった。

⁴ 「財産のすべてを慈善に投じた」とあるが、エッシェンバッハ家の資産台帳によれば、夫人名義の現金資産は死の直前まで相当額が残っていた。それが「手元には屋敷と指輪のみ」となった経緯は、本遺言書の作成時期と一致して急速に進行している。

⁵ 「介添えはクララだけ」――この一文が、後に最大の問題となった。臨終に立ち会う第三者を一切排除する取り決めであり、医師も親族も司祭すら呼ばれなかった。

⁶ 屋敷と財をクララへ譲るという条項。本遺言書の筆跡鑑定において、署名部分とそれ以外の本文とで、わずかながら筆圧と傾斜に差異が認められた。鑑定人は「同一人物が、異なる精神状態または異なる時期に記した可能性」を指摘している。

⁷ 甥ハインリヒが夫人を「療養院へ送ろうとした」との記述。ハインリヒ側の記録によれば、彼は伯母の急激な人格変化と財産の流出を案じ、医師による正式な診断を求めただけであった。彼を「恩知らず」と夫人に吹き込み続けた人物について、複数の使用人が同じ名を挙げている――クララ、と。

⁸ 「一点の曇りもなく去る」。夫人がそう信じていたことは、おそらく事実であろう。問題は、その信念そのものが、長期にわたって慎重に形成されたものだったという点にある。

⁹ この「冬至の夜」の描写は、夫人が事前に書き残した想定であり、実際の臨終の様子ではない。本物の最期を見た者は、クララただ一人である。

¹⁰ 検死は行われなかった。クララが「故人の遺志により遺体に手を触れぬよう」と強く主張したためである。墓は「貧者の母」の名のもと、丘の上に静かに作られた。

──十二年後、クララ・フォン・エッシェンバッハ(彼女は屋敷相続後に姓を名乗った)が別件で告発された際、当局はこの遺言書を改めて検めた。「死ぬ日を自ら定める」という奇妙な文書は、夫人の死期を“予言”したのではなく、死期を告知していたのではないか――そう問われたとき、彼女は最後までただ微笑んでいたという。

 白百合の花言葉は「純潔」。だが、この花は古来、葬送に手向けられると同時に、その甘い香りで他の臭気を覆い隠すためにも用いられてきた。

──聖アウレリア慈善病院・記録保管室 整理担当者 注記

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