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以下は、ミルダール市時計塔倒壊事件に関する公的調査委員会の聞き取り記録の抜粋である。本事件において、市の中央広場にそびえる時計塔は、ある夜を境に「逆回転」を始め、その七日後に倒壊した。死者一名、行方不明者一名。委員会は事件の真相究明のため、関係者四名への聞き取りを行った。

記録の閲覧にあたっては、各証言の食い違いに留意されたい。


証言一 時計守 ヴェルナー・ロッシュ(六十八歳)

――あなたは時計塔の保守を四十年務めてこられた。逆回転が始まった夜について、ご自身が見たことを話してください。

そうですな。あれは秋の終わり、霜の降りる晩でした。わたしはいつも通り、夜の九時に最後の点検をして塔を降りた。歯車はどれも正常。針も狂いなく十二の数字を指していた。

ところが翌朝、塔へ上がると――針が逆に進んでおったのです。長針が、本来とは反対の方向へ、ゆっくりと。わたしは四十年、この塔に仕えてきた。歯車の噛み合わせは目をつぶっても触れる。だがあの朝、機構を覗いても、何ひとつ壊れていなかった。ただ、回る向きだけが、逆だった。

――機構に手を加えた者がいたとは考えませんか。

塔の鍵を持つのはわたしだけです。あの夜、鍵は一度もわたしの手を離れていない。

――では、なぜ逆回転が。

……わからん。だが、ひとつだけ。針が逆に回り始めてから、街の様子がおかしくなった。人々が、まるで前の日にあったことを、なかったことにして暮らし始めた。わたしの妻も――去年死んだはずの妻が、台所に立っていたのです。

――奥様は昨年お亡くなりになっている。記録にもそうあります。

ええ。だが、塔が逆に回るあいだ、彼女は確かに、そこにいました。


証言二 市議会書記 イレーネ・ハルム(三十四歳)

――ロッシュ氏は、鍵は誰にも渡していないと証言しています。

それは違います。事件の三日前、わたしはロッシュ氏から塔の鍵を借りました。市の記念式典の準備で、塔の内部を測量する必要があったのです。借用記録もあります。ほら、ここに彼の署名が。

――しかしロッシュ氏は、鍵を一度も手放していないと。

老人ですから。記憶があやふやなのでしょう。それより、あの塔の機構には妙なところがありました。歯車のひとつに、製造者の銘がなかった。ほかの歯車にはすべて刻印があるのに、中心の大歯車だけが、無銘だった。

――それが逆回転と関係すると。

わかりません。ただ、わたしが測量を終えて塔を出るとき、背後で鐘が一度だけ鳴ったのです。時刻は午後三時。鐘が鳴る時間ではなかった。振り返ると、針はすでに、わずかに逆を向いていました。

――あなたが何かをしたのではありませんか。

何も。わたしはただ、図面を引いただけです。……けれど、ひとつ告白すると、あの大歯車に触れたとき、指先が、ひどく冷たくなった。氷を握ったように。あれ以来、わたしの左手の感覚は戻りません。


証言三 行商人 トビアス・ケラー(四十一歳・倒壊時の負傷者)

――倒壊の瞬間、あなたは広場にいた。

ええ。商売道具を片づけていたところでした。あの七日間、街じゅうがおかしかった。死んだはずの人間が歩いていたり、昨日売った品物が、また棚に戻っていたり。時間が、巻き戻されていたんです。

――時間が巻き戻る、とは。

文字どおりですよ。塔の針が逆に回るたびに、街の出来事もひと針ぶん、巻き戻る。最初は誰も気づかなかった。だが書記のハルムさんは気づいていた。彼女は毎日、塔の下で何かを書きつけていた。針の動きを記録していたんです。

――ハルム氏は、測量は事件の三日前に一度きりだったと証言しています。

嘘だ。彼女は毎日来ていた。倒壊の前夜も、塔に上がっていくのを見た。そして翌朝、塔は崩れた。彼女が最後に塔から降りてきたとき――左手に、無銘の歯車を抱えていたんです。あの中心の大歯車を。

――抜き取ったと。

ええ。それを抜いた瞬間、針は止まり、そして塔は逆向きに崩れ落ちた。下から上へ、石が天へ昇るように。そのあと、針は正しい向きに戻り、街の時間も流れ出した。死んだ人間は、また死んだ人間に戻った。ロッシュさんの奥さんも。

――あなたの負傷は。

落ちてきた石にあたった。けれど妙なんです。傷は、塔が崩れる前からあった。まるで、これから負う傷を、先に負っていたみたいに。


証言四 ハルム氏・再聴取

――ケラー氏は、あなたが倒壊前夜に塔へ上がり、大歯車を抜き取ったと証言しています。

……認めます。

――なぜ黙っていたのですか。

信じてもらえないと思ったからです。委員長、あの歯車は――時間そのものを刻む歯車でした。無銘だったのは、この世の職人が作ったものではないから。塔が逆に回り始めたのは、誰かのせいではない。歯車が、寿命を迎えて逆へ滑り始めただけ。時計が、終わりに向かって巻き戻り始めたのです。

このまま放っておけば、街の時間はやがて創建の日まで巻き戻り、そして――無に帰る。だからわたしは抜いた。時間を、現在で止めるために。

――ロッシュ氏の鍵の件は。彼は手放していないと。

彼の記憶のほうが正しいのです。わたしが鍵を借りた事実は、巻き戻された時間のなかで起きたこと。彼の現在には、もう存在しない。だから借用記録だけが残り、彼の記憶には残らなかった。

――では、ロッシュ氏の奥様は。

巻き戻った時間のなかで、生き返っていた。けれど歯車を抜いて時間を止めたとき、彼女は再び失われた。わたしは、ひとりの老人から、二度目の死別を奪うことになった。それが、わたしの罪です。

――行方不明者が一名います。誰なのか、心当たりは。

……ケラーです。

――しかし彼は本委員会で証言を。

委員長。記録をもう一度ご覧ください。ケラーの証言した日付を。


委員会附記

調査の最終段階で、書記イレーネ・ハルムの指摘に従い、記録を精査したところ、重大な矛盾が確認された。

行商人トビアス・ケラーの聞き取りが行われたとされる日付は、時計塔倒壊の前日である。だが彼が証言の中で語っているのは、倒壊そのものと、その後に起きた出来事である。すなわち彼は、まだ起きていない事件について証言していた。

市の死亡記録を照会したところ、トビアス・ケラーは倒壊事故の唯一の死者として登録されていた。落下した石材により即死。一方で行方不明者の欄は、空白のままであった。

ハルムは聴取の最後に、こう述べている。

「逆に回る時計のなかでは、死者が証言し、まだ生きている者が行方不明になる。わたしたちは、ほどけた時間の糸を、後ろから手繰っているにすぎません。委員長、あなたがこの記録を読んでいる今この瞬間も――本当に、未来から過去へと、流れていないと言い切れますか」

本委員会は、これをもって調査を終了する。

中央広場には現在、時計塔の土台のみが残されている。その地下から、無銘の大歯車は、ついに発見されなかった。

ただ、夜更けに広場を通る者は、ときおり鐘の音を聞くという。

一度だけ、逆向きに、鳴る音を。


――調査記録、ここで途切れる。

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