あなたは古本屋の奥でその本を見つけた。表紙にタイトルはない。ただ、革張りの背表紙に金箔で「分岐」とだけ刻まれている。手に取った瞬間、指先がわずかに震えた。重さは普通の小説と同じなのに、なぜか中身が読者の意思を待っているように感じられた。
あなたはレジで代金を払い、家に持ち帰った。夜更けの部屋で、灯りを落としてページを開く。最初のページにはこう書かれていた。
「あなたは今、扉の前に立っている。左の扉を開けるか、右の扉を開けるか。」
あなたはためらった。普通の小説ならここで語り手が勝手に進む。だがこの本は、空白の余白を残してあなたを待っていた。あなたは左の扉を選んだ。
ページをめくると、左の扉の向こうに暗い廊下が続いていた。壁に古い肖像画が並び、どれもあなたに似た顔をしている。あなたは歩き始めた。すると次の分岐が現れた。
「廊下の奥に光が見える。急いで向かうか、ゆっくり歩くか。」
あなたは急ぐことを選んだ。すると本の文字が一瞬揺れたように見えた。次のページには、あなたが実際に急いで廊下を歩いたときの息遣いが、まるで録音されたかのように細かく描写されていた。心拍数まで書かれている。
あなたは本を閉じた。部屋は静かだ。窓の外は夜の街並み。あなたは再びページを開いた。今度はゆっくり歩く選択をしてみようと思った。だが、すでに左のページには「急いだあなた」の末路が書かれていた。廊下の奥であなたは転倒し、足首を痛め、這うように進むしかなくなったと。
あなたは慌てて右のページをめくった。そこには「ゆっくり歩いたあなた」が、肖像画の一つと目が合った瞬間、画中の人物が微笑んだと記されていた。
本はすでに、あなたが一度選んだ選択を記憶しているようだった。
あなたは本を閉じて、翌朝まで放置した。朝になって再び開くと、最初のページに新しい一行が加わっていた。
「昨夜、あなたは左の扉を選んだ。だが、もし右の扉を選んでいたら、今日の朝、あなたの机の上に一枚の写真が置かれていただろう。」
机の上を見た。そこに本当に、古い写真が一枚置かれていた。写っていたのは、昨日あなたが選ばなかった「右の扉」の向こう側だった。あなたは写真を手に取り、本に戻った。
今度は右の扉を選ぶつもりでページをめくった。すると本はこう書いていた。
「あなたは今、右の扉を選ぼうとしている。しかし、すでに左の扉を選んだあなたの足跡が、右の廊下にも残っている。」
あなたは本を投げ出した。床に落ちた本は、ページが勝手にめくれ、どこかのページにこう書かれていた。
「あなたは本を投げた。部屋の隅で、選ばれなかったもう一つのあなたが、静かに笑っている。」
あなたは本を拾い上げ、ページを閉じた。背表紙の「分岐」という文字が、わずかに熱を帯びているように感じられた。
あなたは今、この本をどうするか、選ばなければならない。