【ハミルトン邸転落死事件:捜査記録】
記録者: 特別捜査官 クラウス・ハインツ
事件概要: 188X年6月5日、ハミルトン邸敷地内にある「逆回転の時計塔」の最上階バルコニーから、当主オルロフ・ハミルトン(68歳)が転落し死亡した。遺体は時計塔の直下で発見された。事故、自殺、他殺の全方位から捜査。
特記事項: 本邸にそびえる時計塔は、被害者の特注により「すべての機構が逆回転する」という極めて特異な構造を持つ。
【第1号聴取記録:アルフレッド・ジャービス(62歳・執事)】
クラウス:
ジャービスさん。あなたが遺体の第一発見者ですね。当日の状況をもう一度、詳しく説明してください。
アルフレッド:
はい、クラウス様。あの日……6月5日の午後、私はいつも通り旦那様にお茶をお持ちする準備をしておりました。旦那様は午後3時に時計塔の最上階にある書斎で、ハーブティーを召し上がるのが日課でございました。
クラウス:
あなたが時計塔へ向かったのは、正確には何時ですか?
アルフレッド:
お茶を淹れ終えたのが、ちょうど午後3時を少し回った頃です。私が本館のキッチンを出ようとしたその時、窓の外から時計塔の鐘の音が響いてまいりました。
クラウス:
鐘の音。それは何回鳴りましたか?
アルフレッド:
3回でございます。午後3時でしたから、当然、ゴーン、ゴーン、ゴーン、と3回。その最後の鐘の音が響き渡ると同時に、外で「ドサリ」という、重いものが落ちるような不穏な音が聞こえたのです。続いて、庭の方からエレーナお嬢様の悲鳴が聞こえてまいりました。
クラウス:
それで、あなたは急いで庭へ向かった。
アルフレッド:
左様でございます。トレイを放り出し、勝手口から飛び出しました。そこには、時計塔の真下の石畳に倒れ伏す旦那様と、それを見つめて腰を抜かしているエレーナお嬢様の姿がございました。私はすぐに旦那様に駆け寄りましたが……すでに息は絶えておられました。
クラウス:
なるほど。午後3時ちょうど、鐘が3回鳴った瞬間、オルロフ氏は転落した。あなたの証言に間違いはありませんか?
アルフレッド:
はい。神に誓って間違いございません。あの不吉な3回の鐘の音は、今も耳にこびりついて離れません。
【第2号聴取記録:エレーナ・ハミルトン(24歳・被害者の姪)】
クラウス:
エレーナ様。叔父上を亡くされた悲しみの中、お時間をいただき恐縮です。あなたが転落の瞬間を目撃されたと伺いました。
エレーナ:
ええ……。今でも思い出すと、体が震えてしまうのです。あの日、私はひどい頭痛がいたしまして、気分転換に庭を散歩しておりました。生暖かい風が吹く、静かな午後でした。
クラウス:
あなたが時計塔の近くにいらしたとき、何が起きたのですか?
エレーナ:
ふと、頭上で重々しい鐘の音が響き始めたのです。叔父様の愛する、あの忌々しい逆回転の時計塔の鐘です。その音に誘われるように、私は塔を見上げました。そうしたら……最上階のバルコニーの柵から、叔父様の体が、まるで吸い込まれるように真っ逆さまに落ちていくのが見えたのです。
クラウス:
あなたが目撃したとき、時計の鐘は何回鳴っていましたか?
エレーナ:
3回です。ちょうど3回目の鐘が鳴り響いた瞬間、叔父様の体が地面に激突しました。私は叫び声を上げ、その場に頽(くずお)れることしかできませんでした。すぐにアルフレッドが駆けつけてくれましたが……。
クラウス:
少し確認させてください。そのとき、時計塔の「針」がどの数字を指していたか、覚えていますか? ハミルトン邸の時計塔は非常に巨大で、庭からでも文字盤がはっきりと見えるはずですが。
エレーナ:
ええ、見ていました。あの時、確かに時計の針は「2」を指していました。
クラウス:
「2」ですか?
エレーナ:
はい、間違いありません。私は思わず時計を見上げ、文字盤の「2」の数字のところに針があるのを見ました。そして鐘が3回鳴り、叔父様が落ちたのです。あの光景は、脳裏に焼き付いて離れません。
【第3号聴取記録:ヴィクター・コリンズ(45歳・時計職人)】
クラウス:
コリンズさん。あなたは亡くなったオルロフ氏に雇われ、あの時計塔の設計とメンテナンスを任されていたそうですね。
ヴィクター:
ええ、そうです。ハミルトン旦那は、一風変わった方でしてね。時間の流れを憎み、過去へと遡りたいと常々仰っていた。あの方が全財産を投じて私に造らせたのが、あの「クロノス・リバース」……逆回転の時計塔です。
クラウス:
その「クロノス・リバース」の仕組みについて、私のような素人にもわかるように教えていただけますか? 通常の時計と何が違うのでしょう。
ヴィクター:
何から何まで違いますよ。まず、文字盤ですが、数字の並びが鏡写しになっています。上が「12」なのは同じですが、そこから左回りに「11」「10」「9」……と進み、右側が「1」になっています。
クラウス:
つまり、通常の時計で「1」がある位置に「11」があり、「2」がある位置に「10」がある、と。
ヴィクター:
その通りです。そして、針も反時計回りに動きます。つまり、時間が経つにつれて、針は12から11、10、9へと「逆行」していくのです。
クラウス:
なるほど。では、時間の進み方はどうなっているのですか? 実際の時間と連動しているのでしょうか。
ヴィクター:
はい。中身の歯車は超一流の精密さで制御されています。実際の時間が1時間進むごとに、あの時計の針は「左回り(逆回転)」に正確に1時間分進みます。
クラウス:
実時間と時計塔の表示の対応関係を、整理させてください。もし、お昼の「12時ちょうど」に時計を「12」にセットしたとします。
ヴィクター:
ええ。そうすると、以下のようになります。
- 実際の【昼12時】は、表示も【12】
- 実際の【午後1時】は、針が左に1つ戻って表示は【11】
- 実際の【午後2時】は、表示は【10】
- 実際の【午後3時】は、表示は【9】
……というように、実時間が進むほど、表示される数字は小さくなっていきます。
クラウス:
なるほど、非常に興味深い。では、鐘の鳴り方は?
ヴィクター:
鐘のシステムも旦那の強いこだわりでね。表示されている数字の「正時」に達したとき、つまり長針が真上の「12」を通過した瞬間に、短針が指している「その数字の数」だけ鐘が鳴る仕組みになっています。
クラウス:
つまり、時計の針が「11」を指したときは11回、「9」を指したときは9回、鐘が鳴るのですね?
ヴィクター:
ええ、その通りです。どんなに頭がおかしいと言われようと、あの時計にとっては「それが指す数字」こそが絶対の時間なのですから。
【クラウス・ハインツ特別捜査官の捜査メモ】
関係者の証言が出揃った。一見、執事のアルフレッドと姪のエレーナの証言は合致しているように見える。
二人とも「午後3時頃に事件が起き、そのとき時計の鐘が3回鳴った」と証言している。
しかし、時計職人ヴィクターの解説に基づき、この「逆回転の時計塔」の仕様を時系列に整理すると、致命的な矛盾が浮かび上がる。
実際の時間(実時間)と、時計塔の表示、および鳴る鐘の回数の関係は以下の通りだ。
| 実際の時刻(24時間制) | 時計塔の表示数字 | 鐘が鳴る回数 |
|---|---|---|
| 12:00(正午) | 12 | 12回 |
| 13:00(午後1時) | 11 | 11回 |
| 14:00(午後2時) | 10 | 10回 |
| 15:00(午後3時) | 9 | 9回 |
| 16:00(午後4時) | 8 | 8回 |
| 17:00(午後5時) | 7 | 7回 |
| 18:00(午後6時) | 6 | 6回 |
| 19:00(午後7時) | 5 | 5回 |
| 20:00(午後8時) | 4 | 4回 |
| 21:00(午後9時) | 3 | 3回 |
| 22:00(午後10時) | 2 | 2回 |
| 23:00(午後11時) | 1 | 1回 |
| 24:00(午前0時) | 12 | 12回 |
この表を見れば、二人の証言が嘘であることは明白だ。
矛盾点1:アルフレッドの証言について
アルフレッドは「午後3時(実時間)に、鐘が3回鳴るのを聞いた」と証言した。
しかし、実際の午後3時において、時計塔の針が指している数字は「9」であり、鐘は9回鳴る。
この時計塔において、鐘が「3回」鳴るのは、時計の表示が「3」のとき。すなわち、実時間では午後9時(21時)でなければならない。
矛盾点2:エレーナの証言について
エレーナは「午後3時(実時間)頃、針が『2』を指したときに叔父が落ち、鐘は3回鳴った」と証言した。
ここには二重の矛盾が存在する。
第一に、針が「2」を指しているならば、鐘は2回しか鳴らない。それなのに「3回鳴った」というのは論理的にあり得ない。
第二に、針が「2」を指すのは、実時間で午後10時(22時)である。彼女が主張する「午後3時頃」とは、まったく時間が合わない。
この矛盾が意味する真実は何か。
二人は口裏を合わせていたのだ。
「午後3時(実時間)に、時計の鐘が3回鳴った瞬間に事件が起きた」という、一見自然な(しかしこの逆回転時計においては完全に不自然な)嘘のストーリーを。
なぜ彼らはそんな嘘をついたのか?
それは、実際の犯行時刻が「夜」であり、彼らには「午後3時」にどうしても完璧なアリバイがあった(あるいは、夜間に塔へ入る不審な動きを隠したかった)からだ。
そして、エレーナは犯行の瞬間、恐怖と興奮の中で、実際に時計の文字盤を目撃してしまった。そのとき彼女の目に焼き付いたのは、現実の犯行時刻である午後10時を指す「2」という数字だった。
尋問において、彼女はあらかじめアルフレッドと計画していた「3回の鐘(午後3時のつもり)」という嘘を吐きながら、突発的な質問に対して、自らの目で見てしまった本物の数字「2」を、無意識のうちに口走ってしまったのだ。
容疑者両名を拘留し、再尋問を行う。
【再聴取記録:アルフレッド・ジャービス】
クラウス:
ジャービスさん。あなたの「午後3時に鐘が3回鳴り、主人が落ちた」という証言ですが。一つ、おかしな点があります。
アルフレッド:
おかしな点、でございますか? 一体何が……。
クラウス:
このハミルトン邸の時計塔は「逆回転」です。実際の午後3時において、時計の針は「9」を指しており、鐘は「9回」鳴る仕様になっています。あなたが聞いたという「3回の鐘」は、実時間で午後9時にしか鳴りません。
アルフレッド:
な、何をおっしゃいますか! 私は確かに、お茶を運ぶ途中に……。
クラウス:
では、あなたは午後3時に、わざわざ9回も鳴り響く鐘の音を「3回」と聞き間違えたのですか? それとも、事件が起きたのは本当は午後9時だったのではないですか?
アルフレッド:
それは……いや、しかし、私は確かに……(額に汗を浮かべ、沈黙する)。
クラウス:
午後3時、あなたには完璧なアリバイがありましたね。他の使用人たちと一緒に、町から届いた大量の備品を倉庫に運び込んでいた。彼らもあなたの姿を終始確認している。
だからこそ、あなたは事件を「午後3時」に仕立て上げる必要があった。そうですね?
アルフレッド:
……。
【再聴取記録:エレーナ・ハミルトン】
クラウス:
エレーナ様。先ほどのあなたの証言、非常に興味深いものでした。
「針が『2』を指したとき、叔父様が落ちた。鐘はちょうど3回鳴っていた」と仰いましたね。
エレーナ:
ええ……。それが何か?
クラウス:
エレーナ様、この時計塔は逆回転するのです。針が『2』を指しているとき、鐘は『2回』しか鳴りません。なぜ『3回』鳴るのですか?
エレーナ:
それは……私の聞き間違いか、あるいは……。
クラウス:
さらに言えば、あの時計塔が『2』を指すのは、実時間で午後10時です。
あなたが本当に『2』の数字を指す針を見たのだとしたら、それはあなたが午後10時に、あの時計塔の前にいたことを意味します。違いますか?
エレーナ:
(顔面が蒼白になり、小刻みに震え始める)
あ、違うわ……私は、私はただ……。
クラウス:
あなたはアルフレッドと口裏を合わせ、「3時=3回」という、通常の時計の常識でアリバイを捏造した。
しかし、実際の犯行時刻である午後10時に、あなたは時計塔の最上階で、叔父上をバルコニーから突き落とした。そして、逃げるように庭へ降りたとき、ふと見上げた時計の針が「2」を指しているのを目撃した。
私の不意の質問に、あなたは偽りのシナリオである「3回の鐘」を主張しながらも、その時見た恐怖の記憶「2」を、そのまま吐露してしまった。
エレーナ:
(うつむき、顔を覆って泣き崩れる)
【事件結末:捜査報告書(追記)】
再尋問の結果、エレーナ・ハミルトンおよびアルフレッド・ジャービスは共謀によるオルロフ・ハミルトン殺害を自白した。
動機:
被害者オルロフ・ハミルトンは、自身の死後、すべての財産をあの「逆回転する時計塔」の維持と、怪しげなオカルト財団へと寄付する遺言状を作成していた。これを知った唯一の血縁であるエレーナと、長年薄給で酷使されてきた執事のアルフレッドが、遺言状が書き換えられる前に主人の殺害を計画。
犯行の実際:
事件当日、午後10時(実時間)。エレーナは叔父を書斎のバルコニーに呼び出し、背後から突き落とした。その瞬間、時計塔は「2」を指し、2回の鐘を鳴らした。エレーナは暗闇の中でその針の形を目に焼き付けた。
アルフレッドは、午後3時のアリバイ(使用人たちとの共同作業)を利用するため、口裏合わせのシナリオを考案した。「午後3時(実時間)に、鐘が3回鳴った瞬間に主人が落ちた」というプロットである。
彼らは時計塔の複雑な逆回転システムを知識としては知っていたが、極限の緊張状態と、染み付いた「3時=3回」という常識の罠に陥り、このような致命的な矛盾を生み出すに至った。
皮肉にも、過去へ戻ることを夢見て造られた「逆回転の時計塔」は、その歪んだ時の刻み方によって、犯人たちの暴いたはずの「過去」の嘘を現在へと引きずり出し、真実を証明したのである。
【捜査終了・署名:クラウス・ハインツ】