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序章 予報

その雨が初めて降ったのは、八月の終わりだった。

気象庁は当初「未確認の気象現象」と発表した。雨粒は地表に到達する直前に屈折率を変化させ、光を完全に透過させる。つまり、目には見えない。けれど、確かに濡れる。

やがてわかったことがある。
その雨に長く打たれた者は、少しずつ、世界から「見えなくなっていく」のだと。

これは、最後に透明になった少女の、五つの感覚の記録である。

視覚は、失われている。


第一章 触覚

——指先が、まず気づく。

頬に何かが触れた。冷たい。けれど水滴の重さがない。霧よりも密で、雫よりも軽い、その中間。皮膚の表面を、無数の小さな唇が啄むように這っていく。

これが、雨だ。

わたしは手のひらを空に向ける。掌の窪みに、何かが溜まっていく感触がある。けれど目を落としても、そこには何もない。ただ、皮膚だけが知っている。冷たさ。重さ。確かに、ある。

濡れた服が肌に貼り付く。背中の生地が冷えて、肩甲骨の輪郭をなぞる。ブラウスの襟元から一筋、冷たいものが鎖骨を伝って下りていく。その軌跡だけが、まるで誰かの指のように、わたしの存在を確かめていく。

ここに、いる。
わたしは、ここに、いる。

足元のアスファルトは濡れている。スニーカーの底から、湿気がじわりと滲み上がってくる。靴下が重い。一歩踏み出すたびに、ぴた、ぴた、と音にならない音がする。それは音ではなく、足裏が感じる「沈み」だ。

街灯の下を通り過ぎる。光は、わたしを照らさない。なぜなら、わたしを濡らしているこの雨が、わたしの輪郭を光から逃がしているからだ。

それでも、風が吹くと、濡れた髪が頬に貼り付く。湿った毛の一本一本が、皮膚の上で別々の温度を持っている。

わたしは、まだ、ここにいる。

指先で、それを、確かめている。


第二章 嗅覚

——鼻が、世界を覚えている。

雨の匂いがする。

けれどそれは、わたしが知っていた雨の匂いではない。普通の雨は、アスファルトに落ちると、土埃と石油と、夏草の青さを混ぜたような匂いを立ち上らせる。あの懐かしい、「ペトリコール」と呼ばれる匂い。

この雨には、それがない。

この雨は——無臭、ではない。むしろ、匂いを「奪う」。

街角のパン屋の前を通っても、焼きたての小麦の香りが届かない。いつもなら通りの端まで漂ってくるはずのバターの匂いが、雨の幕に吸い込まれて、消えてしまう。

わたしは、立ち止まる。

代わりに、自分自身の匂いが、不思議なほど鮮明になっていく。

濡れた髪のシャンプーの残り香。今朝つけた、ベルガモットの香水。それから、その下にある、もっと深い匂い——わたしの皮膚そのものの匂い。汗の塩気と、肌の油と、生きていることの、あの説明できない匂い。

雨は、外の匂いを消し、わたしの中の匂いだけを残していく。

世界は、わたしから引き剥がされていく。
けれど、わたしは、わたしに、近づいていく。

母の家のそばを通る。窓の隙間から、いつもなら煮物の匂いがするはずだ。醤油と、みりんと、生姜の匂い。けれど、今日は、何も届かない。

窓越しに、母が立っているのが——いや、見えない。わたしには、もう何も見えない。けれど、母がそこにいる気配だけは、嗅覚が知っている。母の使っている柔軟剤の匂い。それだけが、雨の幕をすり抜けて、わたしの鼻に届く。

「お母さん」

呼ぼうとして、声が出ない。
喉の奥で、言葉が、雨に溶けていく。

母の柔軟剤の匂いだけが、わたしの最後の家族だった。


第三章 味覚

——舌が、別れを告げている。

雨が唇に触れる。

舌先で、それを掬う。

味がない。

塩気もない、甘さもない、雨水特有のあの金属的な後味すらない。ただ、「冷たさ」だけが、味覚の代わりに舌に広がる。

わたしは、ベンチに腰掛ける——たぶん、ベンチだろう。木の冷たさが、太ももの裏に伝わってくる。バッグから飴を取り出す。手探りで包装を剥がし、口に入れる。

レモン味の飴のはずだ。

けれど、舌は何も感じない。

噛み砕いても、味がない。糖の硬さ、酸の刺激、香料の華やかさ——すべてが、わたしの舌から逃げていく。

雨は、味覚も奪うのだ。

わたしは、思い出そうとする。

最後に「美味しい」と思ったのは、いつだろう。
昨日の夜、母が作ってくれた茄子の煮浸し。あれが、わたしの最後の晩餐だった。母は何も知らずに、いつも通りに作ってくれた。生姜の風味が、口の中に長く残った。

その記憶だけが、今、舌の上に蘇る。
本物の味覚は、もう、ない。
けれど、記憶の中の味は、まだ、ある。

これが、味覚の最後の仕事なのかもしれない。
今を味わうことではなく、過去を呼び戻すこと。

口の中で、飴が溶けていく。
わたしの中で、何かが、溶けていく。

涙が、頬を伝う。
舌の先で、それを受け止めてみる。

——塩辛い。

不思議だ。世界の味は、もう、わからないのに。
自分の涙だけは、まだ、味がする。

たぶん、わたしの体の中から出てきたものだけは、まだ、わたしのものだから。


第四章 聴覚

——耳だけが、まだ、世界とつながっている。

雨は、音を立てない。

普通の雨なら、傘に当たる音、地面を叩く音、葉を揺らす音がある。けれどこの雨は、音もなく、ただ、降る。

そのせいで、世界の他の音が、異様に大きく聞こえる。

遠くで車が走っている。タイヤが濡れたアスファルトを切り裂く音。シャーッ、という長い摩擦音。それが、まるで耳元で鳴っているように聞こえる。

電線が風に揺れる音。
誰かの足音——わたしから離れていく。
カラスの羽ばたき。

そして、わたし自身の心臓の音。

ドク、ドク、ドク。

こんなにはっきりと、自分の心音を聞いたのは、初めてかもしれない。胸の中の小さな部屋で、誰かが扉を叩き続けている。

ねえ、まだ、いるの?
ねえ、まだ、生きてる?

ドク、ドク、ドク。
いるよ、ここにいるよ。

そう答えるように、心臓は鳴る。

母の声が、聞こえる気がする。

「ねえ、夕飯、食べていきなさい」

いつだったか、家を出るときに、そう言われた。わたしは振り向きもせず、「いらない」と答えた。あの時、もし振り向いていたら、母の顔をきちんと見ていたら、わたしは今、ここにいなかったかもしれない。

雨に打たれることも、なかったかもしれない。

ピチャ、と水滴の音がする。
いや、これは雨の音じゃない。
わたしのまぶたから落ちた、涙の音だ。

その音だけは、確かに、音だった。


第五章 第六感、あるいは

——感覚が、すべて、薄れていく。

触覚も、嗅覚も、味覚も、聴覚も、少しずつ、遠ざかっていく。

最後に残ったのは、名前のない感覚だ。

それは、たぶん、「ここにいる」という感覚。
あるいは、「ここにいた」という、記憶の余韻。

わたしは、ベンチに座っている——たぶん。
雨に打たれている——たぶん。
透明になっていく——確実に。

けれど、不思議と、怖くない。

体の輪郭が、世界に溶けていく。皮膚の境界が曖昧になり、わたしと、わたしでないものの、区別がなくなっていく。

これは、消滅ではない、と思う。
たぶん、これは、混ざることだ。

雨に。
空気に。
ベンチに。
遠くの車の音に。
パン屋のバターの匂いに(もう嗅げないけれど)。
母の煮物に(もう味わえないけれど)。

わたしは、それら、すべてに、なる。

足音が、近づいてくる。

ピチャ、ピチャ、と、誰かが走ってくる。

「——!」

何かを叫んでいる。
誰かの名前を、呼んでいる。

それは、わたしの名前のような気がする。
でも、もう、確かではない。

温かい手が、わたしの手に触れる——気がする。
それは、もう、触覚ではない。触覚の、記憶だ。

その手は、震えている。
そして、わたしの輪郭を、必死に、なぞっている。

「いる」
「ここに、いる」
「お母さんは、わかる」

声が、聞こえる——気がする。
それは、もう、聴覚ではない。聴覚の、奥にあるもの。

母は、見えないわたしを、抱きしめている。

わたしの透明な体を、母の腕が、確かに、囲っている。

母には、見えている。
母には、わかる。
母の感覚は、わたしを、まだ、捉えている。

母は、わたしの五感のすべてを、代わりに、持っていてくれる。

雨は、まだ、降っている。

けれど、わたしは、もう、透明じゃない。

母の腕の中で、わたしは、確かに、ここに、いる。

たとえ、誰の目にも、見えなくても。

たとえ、わたし自身にすら、もう、見えなくても。

母の温度だけが、わたしの、最後の輪郭だった。


終章 降り続く

雨は、その後も、降り続いた。

街には、透明になった人々が、まだ歩いているという。
彼らは、見えないけれど、確かに、いる。

見つけ方は、簡単だ。

目で探してはいけない。
耳で聴いてはいけない。
匂いを嗅いではいけない。
触れようとしてはいけない。
味わおうとしてはいけない。

ただ、「いる」と、信じればいい。

そうすれば、雨の中に、彼らの輪郭が、浮かび上がる。

愛している誰かが、見えなくなってしまった人へ。
どうか、五感を、超えてほしい。
あなたの感覚の、もっと奥にあるもので、その人を、抱きしめてほしい。

雨は、まだ、降り続いている。

そして、母の腕の中で、わたしは、まだ、生きている。

(了)

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