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水の匂いがする。

これはいつの記憶だろう。井戸の縁に手をかけて、私は下を覗き込んでいる。底に光がある。丸く切り取られた空が、揺れている。母が「落ちるよ」と言った気がするのに、振り返ると誰もいない。

私たちの家には、奇妙な習わしがあった。長子が十六になる夜、当主は薄い緑色の茶を飲ませる。それを飲むと、その家に生まれて死んでいった者たちの記憶が、少しずつ自分の中に降りてくるのだという。父はそれを「累ね」と呼んだ。

私はまだ飲んでいない。だが、もうすぐだ。

井戸の水面に映る顔を見ようとして、私は身を乗り出す。けれど映っているのは、私の知らない女の顔だった。額に小さな黒子がある。その黒子を、私は鏡の中で何度も見たことがある気がした。

おかしい。私は男のはずなのに。

戦が近いと聞いた。

夫は刀の手入れをしている。私はその背中を見ながら、腹に手を当てた。この子が生まれる頃には、もう何もかも終わっているだろう。良いほうにか、悪いほうにか。

「お前は飲んだか」と夫が背を向けたまま訊いた。累ねの茶のことだ。私は嫁いできた身だから、本来は飲む資格がない。けれど、この家の女は皆飲まされる。子に記憶を継がせるため、器となるのは母だからと。

緑の茶は、苦かった。飲んだその夜から、私の中に他人がいる。井戸を覗く子供がいる。刀を振るう老人がいる。誰かを斬った手の感触がある。それらは私の記憶ではないのに、私の指先がそれを覚えている。

夫が振り返った。その目が、一瞬、私の知らない誰かの目に見えた。

「怖いか」と彼は言った。

怖い、と答えようとして、私は気づいた。怖がっているのは、本当に私なのだろうか。

帳簿が合わない。

明治になって、家は商いを始めた。私は三代目だ。番頭が持ってきた数字を睨みながら、私はこめかみを押さえる。頭の奥で、誰かが算盤を弾いている。それは私ではない。もっと古い、もっと別の指だ。

累ねの記憶は、年を取るごとに増える。十六で茶を飲んだときは、ほんの数人ぶんだった。それが四十を過ぎた今では、もう数えきれない。蔵の中の古文書のように、私の中に積み重なっている。

ときどき、自分がどの時代に生きているのか分からなくなる。算盤を弾いているはずが、気づくと刀を握る手つきになっている。帳簿の数字が、いつの間にか古い和歌に見える。

医者は「ご当主は近頃ぼんやりされている」と心配する。私はぼんやりなどしていない。むしろ私は、多すぎるほどに、たくさんの私で満ちている。

夜、井戸の前に立った。水面を覗くと、額に黒子のある女が映った。

「あなたは誰」と私は訊いた。

水の中の女が、私の口を借りて答えた。「あなたよ」

防空壕の中は暗い。

私は妹の手を握っている。外で何かが落ちる音がする。母は壕の入口で、こちらを見ている。その顔が、誰かに似ている。額に黒子。ああ、これは累ねの中の女だ。

「お母さん、入って」と私は言う。

母は首を振る。「お前たちだけでも」

私はまだ茶を飲んでいない。でも、ときどき夢を見る。井戸の夢。算盤の夢。刀の夢。母が言うには、それは私が生まれる前から私の中にあったものだという。茶を飲む前から、累ねは少しずつ漏れ出している。血を通って。

母が背を向けた瞬間、光が来た。

私は叫んだはずなのに、声が出なかった。代わりに、頭の奥で、たくさんの声が一斉に叫んだ。井戸の子供が。戦の女が。算盤の男が。みんな、私の喉を使って叫んだ。

死ぬのか、と誰かが言った。

また、と別の誰かが答えた。

私の名前は累だ。

母がつけた。家の習わしにちなんで。今年で十六になる。今夜、私は茶を飲む。

祖母は防空壕で死ななかった。母を産んで、母が私を産んだ。家はもう商いをしていない。蔵もない。マンションの一室に、古い茶器だけが残っている。

母が薄い緑の茶を点ててくれる。

「飲みたくなかったら、飲まなくていいのよ」と母は言う。「もう、こんな習わし、要らないのかもしれない」

でも私は飲みたかった。私の中に、ずっと前から誰かがいる気がしていたから。それが誰なのか、確かめたかった。

茶は、苦かった。

そして、降りてきた。

井戸を覗いている。

いや、算盤を弾いている。

いや、刀を握っている。

腹に子がいる。光が来る。妹の手を握る。番頭が来る。母が背を向ける。母が茶を点てる。誰かが叫ぶ。誰かが答える。

待って。私は誰。

私は累。十六。マンションの一室。

違う。私は三代目。帳簿が合わない。

違う。私は嫁いできた。怖い。

違う。私は防空壕。お母さん、入って。

違う。私は井戸を覗く子供。

——黙れ。

——黙れ、と言ったのは誰だ。

頭の中で、声が重なる。何百年ぶんの声が、同じ喉を奪い合う。私の手が、知らない手つきで宙を掻く。私の口が、知らない言葉を呟く。古い和歌。戦の名。子供の名。

「累」と母が呼んでいる。「累、しっかりして」

累。それは私の名前。それは習わしの名前。それは、積み重なるという意味。

積み重なって、潰れる。

私は井戸の縁にいる。下に光がある。

私は刀を握っている。手が震えている。

私は腹に手を当てている。この子に、何を継がせるのか。

私は算盤を弾いている。数字が和歌になる。

私は妹の手を握っている。光が来る。

私はマンションの一室で、茶を飲んだ。

——どれが、本当の私。

全部、と誰かが言う。

誰も、と別の誰かが言う。

私の指が、井戸の縁を握る感触を覚えている。私の指が、刀の柄を握る感触を覚えている。私の指が、算盤の珠を弾く感触を覚えている。私の指が、妹の小さな手を握る感触を覚えている。私の指が、茶碗の縁に触れる感触を覚えている。

ひとつの手の中で、五つの感触が衝突する。

私は誰の人生を生きているのか。

私は——

水面に顔が映る。額に黒子。それは戦の女。けれどその目には、井戸の子供がいて、算盤の男がいて、防空壕の少女がいて、十六の私がいる。

私が顔を上げると、皆が顔を上げる。私が口を開くと、皆が口を開く。

「もう、いいよ」と母の声がする。

母も飲んだのだ。母の中にも、皆がいる。母も、誰でもあって、誰でもなかった。

私は、手を、放した。

井戸の縁から。刀の柄から。腹から。妹の手から。茶碗から。

ひとつずつ、放していく。

すると、不思議なことに、声が静かになった。消えたのではない。重なるのをやめて、ただ、並んだ。

井戸の子供がいる。戦の女がいる。算盤の男がいる。防空壕の少女がいる。そして、十六の私がいる。

私たちは、同じ手の中にいる。同じ喉の中にいる。けれど、奪い合わなくていい。順番に、覗けばいい。

私は水面を覗く。

そこに映るのは、たくさんの顔だ。けれど、その全部が、私の顔でもあった。額の黒子は、私にもある。母にもある。きっと、私が産む子にもある。

「累ね」とは、潰れることではなかった。並んで、座ることだった。何百年ぶんの誰かが、ひとつの井戸を、代わるがわる覗き込むこと。

私は十六だ。

そして私は、私より前に生きた、すべての私だ。

水の匂いがする。

これはいつの記憶だろう、と、誰かが、優しく、訊いた。

「今の記憶だよ」と、私は答えた。

初めて、声が、ひとつになった。

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