一 構内放送 午前五時十三分
まもなく、二番線に、各駅停車「帰る列車」が参ります。
白線の内側までお下がりください。
なお、この列車は、切符をお持ちのお客様のみご乗車いただけます。
切符は窓口では販売しておりません。
券売機はございません。
拾得物として届けられた切符は、本人確認のうえ返却いたします。
繰り返します。
切符は、落とし物ではなく、置き忘れたものです。
お心当たりのお客様は、駅員室までお申し出ください。
本日も霧ヶ端駅をご利用いただき、ありがとうございます。
この駅は、どこへも行かなかった方々のための駅です。
どちらへも、お急ぎにならないでください。
二 忘れ物台帳 昭和九十八年四月十二日
拾得場所:三番線ベンチ下
品名:赤いランドセル
特徴:右側面に白い絵の具の跡。中に算数ドリル、給食袋、乾いた桜の花びら三枚。
届け出人:不明
保管棚:こども用二段目
備考:
午後三時二分、所有者と思われる女児が来室。名前を尋ねると「まだ呼ばれていない」と回答。ランドセルを見て泣くが、受け取りを拒否。
「これを持って帰ると、お母さんに見つかる」
と発言。
駅員より、持ち主が帰るためには忘れ物を受け取る必要がある旨を説明。
女児はランドセルの中から連絡帳を取り出し、最後のページを破る。内容は以下。
「きょうは家に帰りたくありません」
破られたページは女児が所持。ランドセルは引き続き保管。
三 乗客インタビュー記録 第三待合室
対象者:七十二歳男性
記録者:駅員補助見習い
――お名前を教えてください。
「名前は、向こうに置いてきた。ここでは皆、苗字だけで済む。私は森、と呼ばれている」
――いつからこの駅に?
「時計が役に立たんからね。たぶん、十年か二十年。いや、妻が亡くなったのが八年前だったか。違うな。私は妻が亡くなる前に消えたんだ」
――消えた理由は。
「散歩だよ。朝、新聞を取りに出て、そのまま歩いた。家には妻がいた。台所で味噌汁を温めていた。私は『すぐ戻る』と言った」
――戻らなかった。
「戻れなかった、ではない。戻らなかった。そこが大事らしい」
――「帰る列車」に乗ろうと思ったことは?
「毎朝思う。毎朝、二番線へ行く。列車は来る。扉も開く。だが乗ろうとすると、足元が透ける。切符がないからだ」
――切符とは何ですか。
「後悔だと思っていた。だが違った。後悔なら、ここにいる全員が山ほど持っている。切符になるのは、後悔ではない。言い残したことだ」
――森さんの言い残したことは?
「『すぐ戻る』の続きだ」
――続き?
「『すぐ戻る』と言って戻らなかった男は、帰る資格がない。帰るなら、まず『戻れなくてすまなかった』と言わねばならん。だが妻はもういない。誰に言えばいい」
――駅員は何と?
「忘れ物を受け取れ、と言う。私の忘れ物は、玄関の傘立てにある黒い蝙蝠傘だそうだ。あの日、雨が降ると知っていて持たなかった傘だ。妻がいつも『傘を持って』と言った。私はいつも『大丈夫』と言った」
――受け取らないのですか。
「受け取ると、雨の音が聞こえるんだよ」
四 監視カメラ書き起こし 改札口 午前二時四十四分
映像:白黒。改札機は存在するが、投入口は塞がれている。天井灯が二度点滅。
02:44:08
若い女性が改札前に立つ。髪は濡れている。右手に片方だけのパンプス。左足は裸足。
02:44:19
女性、改札機に向かって頭を下げる。
女性:「すみません、通してください。朝までに帰らないと」
02:44:31
音声にノイズ。背後の時刻表が風もないのにめくれる。
改札機:「お忘れ物はお受け取りになりましたか」
女性:「何も忘れてません」
改札機:「お忘れ物はお受け取りになりましたか」
女性:「バッグも携帯も、財布も、全部置いてきたんです。だから忘れてません。捨てたんです」
02:45:02
改札機、赤く点灯。
改札機:「置き忘れと、置き去りは異なります」
女性、笑う。
女性:「じゃあ、私は何を忘れたの」
02:45:18
画面左端に駅員が現れる。顔は映らない。
駅員:「あなたの忘れ物は、名前です」
女性:「名前?」
駅員:「あなたは最後の電話で、『私なんか』とだけ言いました」
女性、沈黙。
駅員:「切符には行き先ではなく、宛名が必要です」
02:46:11
女性、改札機に額を押しつける。
女性:「呼んでくれる人が、もういないんです」
駅員:「呼ばせなかったのは、あなたです」
02:46:40
女性、片方のパンプスを床に置く。裸足の左足で後ずさる。
女性:「また来ます」
駅員:「列車は毎日来ます。お客様が毎日同じとは限りません」
02:47:03
女性、振り返る。映像が乱れる。次のフレームで無人。
床にパンプスは残っていない。
五 構内放送 午前八時ちょうど
一番線に停車中の列車は、回送です。
ご乗車いただけません。
繰り返します。
回送列車には、ご乗車いただけません。
過去へ戻る列車ではございません。
あの日の朝、あの角の信号、あの病室、あの橋の上、あの玄関先には停まりません。
お客様の目的地は、出来事ではなく、人です。
切符に記された名前をお確かめください。
読めない場合は、まだお乗りいただけません。
読めるのに破った場合は、拾得物窓口までお越しください。
破片は、すべてこの駅に集まります。
六 忘れ物台帳 平成三十七年十一月三日
拾得場所:駅前ロータリー跡
品名:婚姻届
特徴:夫欄記入済み。妻欄空白。証人欄に父母の署名。提出日は十年前。
届け出人:タクシー運転手を名乗る男性。ただし駅前にタクシー乗り場はない。
保管棚:未提出書類箱
備考:
所有者と思われる男性、午前十時二十分来室。
男性は婚姻届を確認後、「これはもう効力がない」と発言。
駅員より、効力の有無は切符の発行条件と無関係である旨を説明。
男性は「彼女はもう別の人と暮らしているはずだ」と述べる。
駅員回答:
「その方の現在は、あなたの帰着駅を決めません」
男性、婚姻届の妻欄にかすれた指で名前を書こうとするが、途中で止める。
「僕は彼女の名前を、まだ書いていいのか」
駅員、以下の説明を行う。
帰る列車に乗る条件:
一、忘れ物を受け取ること。
二、それが何であったかを認めること。
三、届ける相手の名前を切符に記すこと。
四、帰ったあとに許されることを条件にしないこと。
男性は長時間沈黙。
十一時五十五分、婚姻届を受け取る。
ただし妻欄は空白のまま。
男性は二番線へ向かったが、列車には乗車せず。
婚姻届は本人所持のため台帳から抹消予定。
追記:
午後六時三分、同男性が再来室。婚姻届の余白に以下を記入。
「結婚しようと言ったまま、消えてごめん」
二番線にて乗車確認。
列車発車後、ホームに白い封筒が一通残る。
宛名なし。
保管せず。
風により消失。
七 乗客インタビュー記録 地下通路
対象者:十六歳少年
記録者:駅員補助見習い
――ここでの暮らしはどうですか。
「暮らしっていうか、待ち時間。ずっと待ち時間。腹は減らないし眠くもならない。けど、自販機の缶コーヒーは買える。味はしない」
――学校には行きたくない?
「行きたくないから来たんだよ」
――家には?
「家も同じ。学校より静かなだけ」
――失踪した日は。
「卒業式の前の日。制服を川に捨てた。スマホも捨てた。橋の下で寝たはずなのに、起きたらここだった」
――帰る列車には興味がない?
「みんな最初はそう言うって駅員に言われた。俺もそのうち帰りたくなるって。ムカつく」
――忘れ物は?
「ない。全部捨てた」
――台帳には何と?
「『上履き』って書いてあった。片方だけ。踵に名前が書いてあるやつ」
――受け取らない理由は?
「名前が嫌いだから」
――誰に届ける切符ですか。
「知らない」
――本当に?
「……妹」
――妹さん?
「俺がいなくなってから、妹は俺の部屋を使ってると思う。たぶん、嬉しいと思う。俺はずっと怒鳴ってたし、壁殴ってたし」
――言い残したことは。
「ない」
――沈黙が長いですね。
「……卒業式の日、妹が俺に手紙を書いてた。ランドセルの奥に隠してた。見つけたけど読まなかった。どうせ『卒業おめでとう』とかだろ。そういうの、無理だった」
――それが忘れ物?
「違う。忘れたんじゃない。読まなかっただけ」
――読まなかったものは、どこに行くのでしょう。
「……知らない」
――拾得物窓口に、手紙が届いています。
「読めってこと?」
――受け取るかどうかは、お客様の自由です。
「読んだら帰らなきゃいけない?」
――いいえ。
「じゃあ、読まない理由がなくなるじゃん」
八 監視カメラ書き起こし 二番線ホーム 夕方
映像:夕焼けのような光。霧が線路を覆う。ホームには十二名。列車はまだ来ていない。
17:12:00
少年、右手に上履き、左手に封筒を持って立っている。封筒は開封済み。
17:12:37
少年、ホーム端へ近づく。駅員が後方に立つ。
少年:「あいつ、俺のこと嫌いじゃなかった」
駅員:「はい」
少年:「俺が嫌ってただけだった」
駅員:「はい」
少年:「帰ったら、妹はもう高校生かもしれない」
駅員:「はい」
少年:「俺のこと、忘れてるかもしれない」
駅員:「はい」
少年:「謝っても、意味ないかもしれない」
駅員:「はい」
少年:「じゃあ何で帰るんだよ」
駅員:「意味があるから謝るのではありません」
17:13:22
少年、封筒から便箋を取り出す。音声が一部明瞭。
少年:「お兄ちゃんへ。卒業おめでとう。高校に行っても、ときどき一緒に帰ってください」
少年、便箋を折る。上履きの中に入れる。
17:14:06
構内放送。
「まもなく、二番線に、各駅停車『帰る列車』が参ります」
17:14:31
列車到着。車体に行き先表示なし。窓の向こうに景色はなく、灯りだけがある。
17:14:50
少年、切符を取り出す。切符には「妹」とだけ読める。下の名前は滲んでいる。
改札鋏の音。
17:15:03
少年:「名前、ちゃんと覚えてる。けど、ここに書いたら泣くから」
駅員:「泣いてからでも、列車は出ます」
17:15:20
少年、切符に何かを書く。カメラには映らない。
17:15:44
少年、乗車。
17:16:00
扉が閉まる。
17:16:08
列車発車。
17:16:22
ホームに片方の上履きだけ残る。踵の名前は読み取れない。
17:16:29
上履き、少しずつ薄くなる。
17:16:41
消失。
九 構内放送 午後十一時五十九分
本日の「帰る列車」は、まもなく最終となります。
ご乗車のお客様は、切符の宛名をご確認ください。
なお、切符にはご自身のお名前を書かないでください。
お客様が帰る先は、お客様自身ではありません。
誰にも会いたくない方。
誰にも許されたくない方。
誰にも思い出されたくない方。
そのお気持ちは、当駅にてお預かりできます。
ただし、お預かりできるのはお気持ちだけです。
忘れ物は、お客様ご自身でお持ち帰りください。
十 忘れ物台帳 日付不明
拾得場所:駅員室前
品名:駅員帽
特徴:黒。内側に薄く名前の跡あり。判読不能。
届け出人:なし
保管棚:駅員用
備考:
帽子は毎朝、駅員室前に戻っている。
駅員に確認したところ、「私のものではありません」と回答。
ただし駅員は、当該帽子を着用して勤務している。
追加聞き取りを試みる。
――駅員さんは、いつからここに?
駅員:「始発からです」
――始発とは、いつの始発ですか。
駅員:「誰かが最初に帰りたいと思った朝です」
――あなたも失踪者ですか。
駅員:「この駅には、失踪者だけが住んでいます」
――では、あなたも。
駅員:「勤務中です」
――帰る列車には乗れないのですか。
駅員:「条件を満たせば」
――あなたの忘れ物は何ですか。
駅員、回答なし。
帽子の内側を再確認。
判読不能だった名前の跡が、わずかに浮かび上がる。
「父」
駅員は台帳を閉じ、以下を記す。
「拾得物ではなく、預かり物」
十一 乗客インタビュー記録 駅員室
対象者:駅員
記録者:不明
――あなたが最後に帰るのは、どこですか。
「家ではありません」
――誰のところですか。
「娘です」
――娘さんは、あなたを待っていますか。
「待っていません。待つには長すぎました」
――では、なぜ帰りたいのですか。
「待たれているから帰るのではありません」
――何を忘れたのですか。
「誕生日の約束です」
――どんな約束でしたか。
「遊園地に行く、と」
――行かなかった。
「勤務がありました。事故がありました。臨時列車が止まりました。私は駅に残りました」
――それだけなら、失踪ではないのでは。
「その夜、私は家に電話をしませんでした。翌朝も。翌週も。仕事を理由にして、帰る日を一日ずつ遠ざけました。やがて帰るための顔を失いました」
――娘さんは?
「妻に連れられて、町を出ました。私は辞表を書き、ポケットに入れたまま、駅のベンチで眠りました。目覚めたら、この駅でした」
――帰る列車の条件を、あなたは誰より知っている。
「はい」
――なぜ乗らないのですか。
「切符の宛名を書けませんでした」
――名前を忘れた?
「いいえ。忘れたことにしていました」
――今は?
駅員、長く沈黙。
「忘れ物台帳には、すべて載ります。載らないものは、まだ本人が隠しているものです」
――あなたの隠しているものは。
駅員、駅員帽を脱ぐ。
「娘の名を呼ぶ声です」
十二 監視カメラ書き起こし 二番線ホーム 午前五時十三分
映像:始発前。霧が濃い。ホームには駅員が一人。制服ではなく、古い背広を着ている。手に小さな紙袋。
05:13:00
構内放送が流れる。声は駅員のものではない。
「まもなく、二番線に、各駅停車『帰る列車』が参ります」
05:13:18
駅員、紙袋を開ける。中身は子ども用の赤いリボン、遊園地の割引券、未投函の葉書。
05:13:40
駅員、葉書を読む。
駅員:「誕生日おめでとう。今度こそ、父さんと観覧車に乗ろう」
05:14:02
駅員、笑う。すぐに顔を覆う。
05:14:20
列車到着。
05:14:33
駅員、胸ポケットから切符を取り出す。切符は白紙。
05:14:51
駅員、鉛筆を持つ。手が震えている。
05:15:09
駅員:「名前を、まだ書いていいだろうか」
無人のホームに、子どもの声のような音声が混じる。解析不能。
05:15:30
駅員、切符に文字を書く。カメラに映る。
宛名:美咲
05:15:44
駅員、改札鋏を探すが、持っていないことに気づく。
05:15:52
背後から、少年の声。
少年:「駅員さん」
映像右端に、かつて乗車したはずの少年が一瞬映る。制服姿。すぐ消える。
少年の声:「切符、見せてください」
05:16:03
鋏の音。
05:16:10
駅員、列車に乗る。
05:16:18
扉が閉まる直前、駅員帽がホームへ落ちる。
05:16:25
列車発車。
05:16:39
ホーム無人。
05:17:00
構内放送。
声は、駅員のものではない。少女の声に近い。
「本日も霧ヶ端駅をご利用いただき、ありがとうございます」
05:17:12
駅員帽が薄くなる。
05:17:20
消失せず、ホーム中央に残る。
05:17:31
映像停止。
十三 忘れ物台帳 新規記入
拾得場所:二番線ホーム
品名:駅員帽
特徴:黒。内側に「父」と刺繍。
届け出人:なし
保管棚:駅員用
備考:
本日より、新任駅員が着用。
新任駅員は、赤いランドセルを背負った女児。
本人いわく、
「まだ帰らない。ランドセルの中のページを、もう一度貼ってから」
女児は構内放送の練習を開始。
文面は以下。
まもなく、二番線に、各駅停車「帰る列車」が参ります。
白線の内側までお下がりください。
この列車に乗れるのは、消えたかった方ではありません。
消えたままにしないと決めた方です。
切符は、どこかへ行くためのものではありません。
誰かの前に、もう一度立つためのものです。
忘れ物をお受け取りください。
名前を思い出してください。
許されるかどうかは、到着してからのことです。
列車は、毎朝参ります。
けれど、今日のあなたは、今日しかおりません。